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【KAKERUインタビュー No.30】
10月26日発売「ものがたりレシピ」(幻冬舎)を監修してくださったのは、しぜんの国保育園、成瀬くりの家保育園。この本が誕生したのは、今回ご紹介する齋藤美智子先生を筆頭に、園で培ってこられた28年に渡る保育の歴史があったからこそです。美智子先生が携わる保育園では「物語メニュー」という名の給食献立のおかげで、野菜嫌いな子が一人もいません。具体的なレシピとその背景については新刊をご購入の上、ぜひおうちでもその秘訣をお試しください。
東京都町田市は私が13歳から約10年間住んでいた街、青春どまんなかを過ごした時間がそこにあります。そうした懐かしい土地にそびえる、しぜんの国保育園、成瀬くりの家保育園の試みを知ってからというもの、何としてもこの素晴らしい園の試みを普通のお母さんへ伝えたいと切望してまいりました。園のベテラン保育士さんから若手の先生までをまとめていらっしゃるのが、園長の齋藤美智子先生。ご自身も三人のお子さんを育て上げてこられた「働くお母さん」です。30年ちかくも園をみてこられた美智子先生に、保育への情熱についてお話をうかがいました。
齋藤美智子・成瀬くりの家保育園園長/社会福祉主事 齋藤美智子【Michiko Saito】 
成瀬くりの家保育園園長/社会福祉主事
成瀬くりの家保育園 http://www.toukoukai.org/kuri/index.shtml
しぜんの国保育園 http://www.toukoukai.org/sizenkun/index.shtml
町田自然幼稚園 http://www.sizenkinder.jp/

1948年生まれ。秋田県出身。女子栄養短大卒業後、結婚。1979年、「しぜんの国保育園」開設当初から携わり、2000年から園長。2007年春より姉妹園の「成瀬くりの家保育園」園長に就任。総園長は夫の齋藤謹也理事長。2004年に給食メニューに物語を取り入れた食育手引書「保育園・幼稚園から生まれた『物語メニュー』〜食の楽しさ再発見」(ごま書房)を刊行し、編集にもスタッフとして携わる。「食べることは生活の基本」とし、保育内容に次々とアイデアを取り入れている。2007年10月刊行「ものがたりレシピ」(幻冬舎)監修。

 
1979年から、たくさんの子どもたちと触れ合ってこられて、時代の変遷も感じていらっしゃることと思います。
 

しぜんの国保育園は28年目、成瀬くりの家保育園は7年目になります。初めは、保育と並行して運営の仕事もしていました。昭和54年頃は計算機もなくて、そろばんの時代でした。なぜかその頃、そろばんと計算機が一体化した「電子計算機」が出始めて、文房具屋さんから借りてきて使っていました(笑)。高価で、買うことが出来なかった、つい昔の話です。

 
美智子先生が保育に携わったキッカケというのは何でしたか。
 
姉が勤めていた「草笛保育園」にボランティアとして行きましてね。4月に参加して、総園長の謹也先生に出会い、なぜか、5月の末にはもう結婚をしていました(笑)。
 
わぁ〜スピード婚ですね!でも、女性が仕事を持って働き続けることに理解が少なかった時代だったのでは…と思いますが、美智子先生の場合、周囲の応援や理解がおありでした?
 
そうですね。主人の母にあたる齋藤景子(さいとう・あきこ)先生【通称:おばあちゃん先生】が信念をお持ちの女性でしたから。『私たちは労働者だ。女性はいつも働いている。生活の中で働くこと。たえず頭の中を休ませることなく働くこと』そういうメッセージを常にされていた方です。戦前、女性の自立を考えて世田谷に女学校を開設し、校舎の中に畑をつくり、作物を売って学費を作る方法を教えたり。現在の東横学園の前身です。『明日は必ずよいことがある』という著書も出していますから、ぜひお読みになってください。
 
そうしたご家庭に嫁がれたのは、素晴らしい巡り合わせでしたね。保育の現場では、そうした理念をどんなふうに具体化されていましたか?
 
「味覚を大切にしたい」という信条のもと、例えば焼き芋をおやつに出す時も、そのまま蒸かして…ではなくて、スイートポテトにしたり、ひと工夫することを求められました。素朴な味わいだけで満足してはダメという考えです。それは、子どもはたえず、「発見」を求め、心を「いきいき」させ「イメージを広げる事」が生活と遊びの全てだからです。
また、赤ちゃんにも酸っぱいとか苦いという経験をさせてみる。小さい頃に身震いする経験は大切ということを繰り返し、おばあちゃん先生から教えられ、又、主人と共に職員に伝承してきました。
 
私の住む横浜市は10年前、保育園に入れるだけでも一苦労でした。今、保育園に子どもを通わせる親御さんへの願いとはどんなことですか?
 
今は、経験が少ない分、狭いものの見方になってしまうところがありますね。「私は、こう思う」だけで終わってしまいます。「あなたは、どう思う?」という姿勢を持ってほしい。絵本を介して、物語を読むことで経験できないこともイメージができるようになります。
また、園児たちと梅干しを作りますが、「手づくりの梅はおいしい」という結果だけ見るのではなくて、梅干しになるまでにストーリーがありますよね。お母さんには、そのプロセスを汲み取ってほしいなと思います。
毎年、日本の、食文化を繰り返し伝えていきますが、一つのものができあがる過程、そこには子どもたちの、会話が有りドラマがあり違う発想があり、毎年毎年新鮮です。その、子育ての楽しさを説明することが私たちの役割です。親御さんは、それをしっかり受け止めてほしいのです。手をとりあって喜ぶことが、少なくなったような気がします。
 
結果を重視するのではなく、その過程を楽しむことが子ども時代には不可欠ですよね。そういう想いが「物語メニュー」に詰まっていますが、一例だけ取り上げて『ああ、お顔のご飯ね』と間違って受け取られてしまうのは、とても残念な気持ちになります。
 
「物語メニュー」は想像力をたくましくする献立。ここにトマトのジャムがありますけれど、そこの畑でとれた天然トマトなんですね。これ、ひとなめしてみると…舌に味が残るでしょう?私の場合、小さい頃、祖母が作ってくれた「おいしいー!」と身震いした味なのです。こういう経験がすべてに通じます。失敗した!とか、おいしい!とか、いつもの生活の中で、不意をつかれた経験が記憶に残るものなんです。保育でも、味覚でも、十人十色で全員が同じ思いを共有できなかったとしても、たった一人誰かの心に残ればいいなと思っています。
 
確かに不意をつく経験、しかも体を通して感じることって記憶に残るものですよね。ところで理事長先生は和尚さんでいらっしゃるので、お寺さんの行事関係など美智子先生は切り盛りがおありだったと思います。お仕事をしながら毎日のご飯とか、お家(お寺)のことはどうされていらしたのでしょう?
 
お寺さんには季節ごとにお手伝いをしてくださる方がたくさん出入りします。目に見えない仕事で、人間関係を築くことは多いものです。いつも、感謝を忘れないようにしていました。
私も40代の頃は、いろんな欲がありましたけれど(笑)。ありのままの自分がどう表現できるか?自分を表現するにはどうすべきか?……そんなふうに考えて、「完璧を求めない自分」になってから気が軽くなりました。誰か遊びにいらしても、掃除できない時は掃除しません。いつも、身奇麗な自分でなくちゃならないって、考えないことにしたんですね。 
 
先生は三人のお子さんもご自分のいらっしゃる保育園で育てられました?
 
24才で長女を出産し、その後、長男、次男に恵まれました。仕事を始めた時期に、長女は小学校へ上がりましたが、長男が5歳のとき、保育園が開園しましたので、幼稚園をやめさせて、年長組に入れました。10名しか年長児はいなかったからです。次男は0歳児が多くて入れなかったので、市役所に用事を作ってはおんぶして、入れてください…ってデモンストレーションし、やっと途中入園が出来ました。自分の園での話です。
 
当時から現実は本当に厳しいものだったのですね。ところで三人のお子さんはそれぞれ独立されていますが、どんな教育方針でお育てになられましたか?
 
自分の好きなことを探しなさい、というのを信条にしていましたから、あまり親の思うような枠にはめようとしませんでした。だから怒ったことは生活習慣的なことで小学校時代まで。あとは何事も本人の意思に任せていました。親は腹を括って子どもを信じてやることです。いつまでも後ろをついて歩くのはダメです。

長女は大学時代ボストンへ留学して、5年間あちらで生活して帰国しまして、バリバリのキャリアウーマンになるのかと思ったら、今は結婚して旦那さんの仕事の関係で山口県に住んでいます。2人の子どもを育ててどっぷり主婦をしています。私、孫二人(2歳、4歳)と交換日記をしているんですよ。離れているメリットをいかして「おじいちゃん・おばあちゃんの思い出」をつくってあげたいなぁって。柿が赤くなってきたよ……とか、書くことは何気ないことですけれど、大切な日本の心を伝えていく役割を担っている、ジジ・ババをしています。

そして長男も、やはり海外へ留学していましたが、ここでも5年間という約束をして帰国し、町田市会議員を務めている一方で、町田自然幼稚園の理事長をしています。次男は、音楽の道へ進みたいといって学校もその方面を卒業しました。が専門学校から大学へ入りなおし、僧門の修行を終え、幼稚園の仕事を手伝って今、夫婦で英国留学をしています。来年戻ってくる予定です。いずれにしても、自分で決めたことなので、三人とも、苦学生をしていました。それを見守る、親は忍・忍ですよ。
 
三人とも伸び伸びとお育ちになって、長男さん、次男さん共、保育に関わるパワーをもつお嫁さんをもらって、ちゃんと園の仕事を継がれていらっしゃるのは素晴らしいですね。しっかりお母さんの背中を見ていたのだと思います。ところで成瀬くりの家保育園の園長先生に就かれたのは今年の4月からですね。しぜんの国保育園との違いや共通している点などは、いかがですか?
 
ご覧の通り、園庭の広さは、かなり違いますので、子どもたちの遊びの意識は異なります。一人で黙々と何かをする子はおらず、成瀬くりの家ではお友達と協調しながら、又皆で、ぶつかり合いながら遊びますね。先日、運動会を開催するのに近隣の成瀬台小学校をお借りしました。園庭がせまいものですから、練習も公園に通ってやっていました。開催日に雨となってしまい、結局、体育館での運動会となりましたが、子どもたちは一生懸命にやりとげました。できるとか、できないとか、結果はあまり関係ないんです。練習を含めて、たくさん皆でひとつの目的にむかって時間を過ごしてきたこと。そのプロセスが大切なんですね。改めて、感動した一日でした。
 
理屈ではわかっても、なかなかプロセスを楽しむことは渦中にいる親にとって難しいものですが、先生の園では本当に熱意をもって保育に臨まれていらっしゃいます。
 
ここには、キッチンガーデン(調理室の裏手にある畑)ができたので、たくさんの野菜を育てています。だから野菜をテーマにした運動会が出来るのですね。野菜の育っていく具合から、季節とか、生活の流れが掴めると思います。
 
本当にありがとうございました。
秋のお日様のように、穏やかであたたかな美智子先生。陽気なお寺の住職さんでもいらっしゃる理事長先生とは熱烈な恋愛で結ばれ、超スピード婚だったとは!しかも今年でご結婚38年目を迎えられます。夫婦の歴史が保育園の歩みそのもので、心から尊敬してしまいます。
地に足をしっかりとつけ、今後はボランティア活動をしながらたくさんの方との出会いを楽しんでいきたいと語られた美智子先生。新刊「ものがたりレシピ」を通じて、園発信の頭でっかちでない「食育」が、ジワジワと日本中の家庭に広まっていくことを期待しています。そして、美智子先生にはこれからもずっとお元気で、第一線でのご活躍をお祈り申し上げます。

私も息子を保育園に通わせながら育ててきて、親と一緒に、時には親以上に保育園の先生方には支えていただきました。なので、保育園の先生の存在は、小学校の先生以上に重要な職業だと思っています。
お話をうかがったのは、アトリエ・リーズという園の裏手にあるアトリエ。「リーズ=くり」という意味なんですって。保育のセンスをみがこうということで企画されている、絵皿の職員研修にまで参加させていただきまして、ありがとうございました!お皿の焼き上がり、楽しみにしています〜♪
 

美智子先生の園の理念は、子育て中の親すべてに届くメッセージがあります

ものがたりレシピ

最新刊「ものがたりレシピ」の撮影は、しぜんの国保育園で行われました。その素朴なイメージが何とも素敵!

町田市にある、しぜんの国保育園です

2004年に刊行された著書

成瀬くりの家保育園にいるカエルさん

美智子先生と園児たち。毎秋恒例の芋ほりに出かけます

成瀬くりの家保育園のアトリエ前に広がるキッチンガーデン

このキッチンガーデンで採れた野菜や果物を給食にだすこともある

先生のセンスを磨くために開催している「トールペインティング」のお教室に参加

講師の先生を囲んで、先生方は真剣な表情。簡単そうで結構むずかしいものです

ゆったりした心でお皿にむかわないとせっかくの色もかすれてしまいます

微妙な色合いの違いを重ねて塗ります 焼くとまた印象が違うのでしょうか

絵は好きで自己流で描きますが、トールペインティングは初体験でした!華奢な筆でガシガシと塗りこんでしまいました…

 

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