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【KAKERUインタビュー No.66】

テレビ局で14年勤められて、2001年に当時8歳だった娘さんを連れてNYへ渡米。現在もNYのロイター通信でバリバリとご活躍中の我謝京子さん。私が京子さんと出会ったのは、今から3年ほど前の2006年春。友人にお誘いを受けて伺った宴席で、ビデオカメラを回していらっしゃいました。そこで「なぜ仕事を続けてきたか」「出産してから会社は対応はどうだったか」「子どもを育てながら働き続けるには何が必要か」といったようなテーマで、参加されていた女性の皆さんといろいろお話をして盛り上がった覚えがあります。そこでの一部もドキュメンタリーに組み込まれ、ひとつのフィルムを制作されました。私も作品のDVDを拝借し、鑑賞させていただきました。私自身も働き続ける一人の母として、いろいろな感情が動きましたが一言でまとめると、自分で選択した人生を歩く女性は美しく逞しい、ということ。この「Mothers'way Daughters'choice」(母の道、娘の選択)というタイトルの約70分のフィルムを通じて伝えたいことをお聞きしてみました。

我謝京子 我謝京子【Kyoko Gasha】
ロイター記者・プロデューサー

1963年東京都生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。1987年テレビ東京入社。1992年フルブライトジャーナリストとしてミシガン大学ジャーナリズムフェローに。2001年ロイターに放送記者として母子単身赴任。2001年から今回の映画製作に向けて撮影開始。
 
 
NYへ行かれる前まで14年も日本のテレビ局に勤務されていましたね。どんな時代を駆けてこられましたか?
 

1987年に入社しました。1985年に雇用機会均等法が施行されてまもなくでしたので、女性の先輩がポツポツとしかいなかった。私の時は4人の女性が一般職として採用。田丸美鈴さんや幸田シャーミンさんといった女性キャスターが登場し始めた頃で、ニュースが読める、人に伝える仕事がしたかったので記者職を志望しました。ひとつだけの文化よりも、他の文化も知っていたほうがいいだろうと思って、英語の他にスペイン語も習得して語学を武器に。入社して1年目は、周りのスタッフからは宇宙人扱いでした。ビジネスマン向けの番組で経済ニュースを担当していました。

 
肩パッドの入った服、ワンレングス、ボディコンなんてファッションが流行っていた時代ですね。入社された頃はバブル全盛期で、業界も羽振りが良かったのでは。
 

仕事が大好きで楽しくて仕方ありませんでした。26歳で「仕事を続けていいよ」という同業の彼と結婚しました。そして27歳でフルブライト奨学金に応募したら合格でき、アメリカに留学しました。仕事好きで、編集作業などもあって夜中まで働くのが普通になっていた生活でしたが、それまで体の声に耳を傾けたことがなくて留学してすぐに体調の変化に気づきました。卵巣が腫れて、片方を摘出することになって。それでももう片方の卵巣に望みをかけて、服薬して治療に励んでいたのですが、今度は副作用が激しくて。妊娠することも健康になる選択肢と聞いて、子どもを産んでみようと。それで、29歳で出産しました。

 
出産されたことでご自身の人生観も変わったことと思います。今回制作された「母の道、娘の選択」という映像作品を拝見して、同じ働く母としても胸に感じる想いがたくさんありました。まず初めに、なぜこの作品を作られようと思われたのですか?
 
理由として3つあります。ひとつは、私が子どもを出産して復職した時に、孤立感があった。ですから、子育ても仕事も両立でもがいているのは一人じゃないと悩んでいる人へメッセージをしたかった。皆で連帯してつながることができるといいなと。

ふたつめとして、なぜ私たちは日本を出なければならなかったのか、どうしてニューヨークでなければならなかったのか?私と同じ選択をした人たちに会って話をすることで何か気付きがあるのでは、と思ったからです。それぞれの選択や生き様から学ぶことがあるのではないかと。

そして三つ目に、NYでは日本女性にもつイメージが凝り固まっている気がしたからなんです。日本女性であっても、きちんと主張して生きている女性がいるんだというのを世界の人に見せたいと思ったんですね。
 
登場されている5人の女性たちが、インタビューでそれぞれ残る言葉を発せられています。その人選もユニークだなぁと思いましたが、肩がきは特に紹介されていませんが皆さん普通では持ち得ないパワーというか、優秀さを感じました。たとえばシングルマザーの方も登場していますが、母子家庭の捉え方が、日本とNYではだいぶ意識が違うようですね。
 

シングルマザーという考えは、別居している場合でも、子どもを一人で育てている場合はシングルマザーとアメリカでは見られています。法律的に離婚していることよりも、一緒に両親が住んでいるかどうかでシングルマザーとなるかどうかが決まる。そこが日本と違う点かもしれません。
日本にいても、アメリカにいても、自分が選んだ道をあきらめないで進んでいくことが大事なんだということに気づいてもらえれば。そして、この作品をご覧になる方に元気になってもらいたい。

 
登場される方の中に、NYで成功されているビジネスウーマンがいらっしゃいます。「自分の母親の世代は、仕事をする女性は経済的に必要だから仕事をする、という考え方をしていた。好きだから仕事をする、という生き方ではなかった」といったようなことをおっしゃっていました。つまり、お金のために働いているわけではなくて、自分をいかすために仕事を選択する生き方がない時代があった。もちろん今もそういう人はいると思いますが。NYで生きる女性は、経済的な理由だけで働く人は少ない?
 

もちろんの経済的な理由で仕事をしている人もNYにもたくさんいます。この映画に登場する、シングルマザーのスミエさんもその代表です。 しかし彼女は、「自分は人に奉仕をしてありがとうといってもらえる仕事が好き」という理由で旅行業を選んでいます。

経済的な理由で仕事をする場合でも好きな分野を選んだり、仕事の中に楽しみをみつけて働いている人が多い。そして他人がどう思うかよりも、自分がどう思ってその仕事をしているかが大事です。実は次回作で取りあげようとしている人に、オフィス掃除を仕事としている方がいますが、彼女は夜みんなが帰ったあとのオフィスで楽しそうに掃除をしています。

翌朝会社にいってみると デスクにおいてあるパンプキンのぬいぐるみに帽子が被せてあったり、ぬいぶるみの手に飴がこっそりおいてあったり、彼女のかわいい仕事の中の遊びがあるのです。わたしは、こうやって仕事の中に楽しさを見つける人たちが大好きです。

 
自分なりの工夫とかアイデアで何でも楽しくできるものですよね。私は仕事を続けるうえで離婚という選択をしました。離婚したから仕事に就いたわけではないんですね。で、日本では母子家庭ってすごくかわいそうみたいに言われるけれど、違うんじゃないかと。結婚も離婚も未婚も選択して生きていれば、幸せの形はひとつじゃない。登場人物のお一人が「一度離婚したことを恥ずかしいと思っていた」という方がいらっしゃいましたが、実は私も離婚したことが恥と思っていた時期があったのですが、子どもが大きくなるに従って、恥という鎧が壊れていった。たくさんの人に支えてもらって、元気で生きていることが一番幸せなんじゃないかと気づいて「なんだ。かっこつけずに本当のこと言っていこう!」と。いつの頃からか生きてく姿勢が変わりました。
 

日本人は、いわないことの美しさという流儀があって、売り込まないといけない威圧感とかアピールすることに慣れていない。日本にいると、自分を殺すから辛いんだけど、アメリカにいると皆自分を出すから、逆に日本人は自分を出せなくなってしまう。それが辛くて(笑)。

私は今、茶道をアメリカ人やNY在住の人に英語と日本語を交えて教えています。茶道は、単なる「お茶」でなく、床の間の空間をどうつくるか、そこで何を伝えたいかなど、総合芸術なのでお弟子さんはお茶を通じて日本文化を学べると、好評です。私自身も英語で教えることで日本文化のよさを再確認しています。

もし、ニューヨークで被災しなかったら、今お茶を教えていないと思います。お茶をたてることが今、ワサワサしているNYの生活で、私たちにとっては心を落ち着かせることにつながっています。もちろん日本に住み続けていたらここまでお茶のよさに気がついていないかも。とうとうNYのアパートの中にお茶室をつくってしまいました。

 
おもしろいですよね。日本を離れてみて初めて日本のよさに気づくというか。働き方のようなことにも作品では触れています。
 

アメリカからの帰国後、雅子妃ご成婚で報道の仕事に復職しました。外務省の霞クラブに入り、トイレで搾乳しながら子どもを満4か月から保育園に預けて。夫も同業でしたから二人でバリバリ遅くまで働いていました。私の母に生活面も子育てもすべて面倒見てもらう「パラサイトカップル」をしていた。年1〜2回だけ休暇を取って一緒に過ごす時だけファミリーが揃う。子どもが6才頃になって大切さに気づきました。96年の神戸大震災、97年のペルー人質事件など第一線でニュースを伝える番組に携わっていました。 でも、日常生活ができなくて日常生活の大切さを伝えるのは疑問で。仕事のポジションを変えてもらったりしたのですが、今度は仕事にパッションを失ってしまい苦しくて。そんな時にNYのロイターが募集していることを聞いて。

 
2001年春にNYへ渡られました。当時お子さんは8歳でしたね。
 

そしてNYで9.11米国同時多発攻撃事件に遭いました。映画や夢ではない、現実の中で取材を続けました。NYを離れなかったのは、ナインイレブンで被災したからという理由で帰国すれば、自分の人生に負けることになるような気がしたから。

 
結果、乗り越えてこられて今があるのですね。このインタビューでおいしいところを全部紹介するのは避けますが、一番共感した言葉は「ものだけあっても幸せではない。幸せは人との関係で感じるもの」ということでした。
 

どこに住んでいても、結局は自分が「これだ!」と思った道を失敗しながらもあきらめないで続けていくことが大事だと、女性たちの話、自分のニューヨークでの生活をふりかえることで確信しました。

 
それでは、最後に作品のPRを。
 

この映画は、実は日本というよりも世界へ向けて作りました。アメリカではまだ「日本人女性は静かで主張しない」と見られている向きもあります。あるアメリカ人の友人が本を出版しました。ユダヤ系アメリカ人の罪悪感を集めたエッセイ集でした。私も日本を出てしまったことに罪悪感を当時感じていたので、 この本の出版記念パーティーで、編集者に日本版をつくったらおもしろいかも……と話したところ、彼女から「何いってるの?日本女性はおとなしいから本にしてもすべてのページは真っ白よ」といわれ、あまりの衝撃に口がきけませんでした。21世紀の今でも、日本女性はまだ主張しないおとなしい存在と思われているんだと。そこで、私は、主張できる日本女性の姿を世界に向けて発信したかったのです。日本で、そして世界で、特に若い世代や子育て中の働く人たちにこの映画を見て、元気になってほしいです。

 

ありがとうございました!
子どもを抱えて働き続けるのはすごくエネルギーがいることですが、その分すごく幸せなことだとも感じます。このフィルムは、子どもがいてもいなくても、結婚していてもいなくても、いろいろな立場の女性に、それぞれの視点で受けとめてもらえ、元気が出てくる作品です。

これから出産する方へ、そして今なにかの岐路にたって悩んでいたりする女性に、ぜひご覧いただきたい!と思います。

 

NYで茶道を教える京子さん(右)
NY在住の日本人、アメリカ人を対象に茶道を英語で教えている。母も茶道をたしなむ人だったが、日本で日本語を使って茶道を教える文化をある意味で超えた、もう一つの新しい文化として伝承している。

「Mothers'Way
Daughters'Choice」
(母の道、娘の選択)

母の時代から、娘へ手渡された大切なこと。働く女性として人生の岐路に立たされた時、何を選択してきたか。これは、京子さんのある期間における自叙伝でもあり、複数の輝く日本女性が語る貴重な証言フィルムでもある。

NYロイター通信で記者として働く京子さん
マイクを片手にNYの街を闊歩する姿。歩くのがとっても速い!!
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