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【KAKERUインタビュー No.72】

今年も9月11日が巡ってきました。2001.9.11NYで起きた米同時多発テロから8年が過ぎました。今回ご紹介する杉山晴美さんは、あの日WTCで働いていた夫を亡くしました。当時3歳と1歳の幼い子どもを抱えていた上、第3子を妊娠中でした。突然の死に激しくショックを受けたものの呆然とする間もなく、子どもたちを守り、さまざまな困難を乗り越えテロから6ヵ月後、新しい命を無事にこの世に迎えました。その後、幼子を3人連れて帰国し、テロからの壮絶な日々を語った一冊『天に昇った命、地に舞い降りた命』(マガジンハウス)を2002年に出版。テレビドラマ化もされ、いまなお多くの人の心に残っています。私もその本を手にした一人で、2003年春に当時編集長をしていた「ベビカム」で取材をさせていただき、インタビューコンテンツの第一回でご登場いただきました。以降、晴美さんのご長男がうちの息子と同学年ということもあり、親子ぐるみでお付き合いをさせていただいています。マスコミ各社はもう以前のように9.11遺族へ過熱気味の取材をしなくなりました。あれから晴美さんがどんな時間を重ねていらしたのか、そして今どんなふうに過ごしているかを同世代の子育て中の方にはぜひ伝えたいと思い、今回ご登場をお願いしました。現在進行形、杉山一家の「家族の成長」をお話しいただきました。

高橋雅子【Masako Takahashi】

杉山晴美【Harumi Sugiyama】
『天に昇った命、地に舞い降りた命』著者/主婦
Blog「ハムミのダンゴ3兄弟♪」

1965年生まれ、東京育ち。立教女学院中・高を経て、立教大学法学部卒。2歳年下の夫、陽一さんは富士銀行ニューヨーク支店に勤務していたが、2001年年9月11日米同時多発テロにより、世界貿易センタービルで死亡。享年34歳。ふたりの間には、2歳違いで男児3人がいる。現在、長男小6、次男小4、三男小2。それぞれのキャラクターの違いを楽しみつつ、3人が通う小学校でPTA役員も務め、奔走する日々。

 
 
私が晴美さんと知り合って6年。ものすごく濃い6年間でした。NYで米同時多発テロがあってからは8年になるんですね。今日は「あれからの、その後」というテーマで「杉山家の今」をお話しいただこうと思います。今年はお住まいも大々的に改築されたり、学校のPTA役員を受けたりで、またまた体力が必要な日々でしたね。
 

夫が亡くなってから2002年3月に三男を出産し、とりもなおさず2002年のうちに赤子を連れて帰国。それから子ども3人を育てるのに必死で、荷物の整理もままならずに8年過ぎてしまいました。段ボールを紐解く暇もなく、年々増え続ける子どもらのアイテムで家じゅうパンパン(笑)。母も5年前に病気を患って大変でしたが、おかげさまで病気を再発せずに現在に至っています。元気なうちに住まいを快適にしようと。ところがいざ要らないものを捨てようと整理すると、びっくりすることにゴミが2tトラック2台分もあったの。

 
すごい!私これまで引っ越しが多いけれど、その都度捨ててきちゃうので荷物はあんまり無いんです。捨てることを決めるまでも大変でしたね。帰国後はずっと子育てに追われていらしたのだし、物が溜まりますよ!あれから8年。子どもたちも大きくなりましたね。
 

長男・ぴんちゃんは小6、次男・リッキーは小4、三男・だいずは小2。3人で小学校へ通って、下の2人は野球チームに入っています。
それぞれキャラクターが違いますね。ぴんちゃんは、友達のような感覚で付き合える。本当は子どもになんて話せないことも「これ、本当は子どもには言えないことだから絶対に秘密だよ」と前置きしてから話せたり。下の2人が野球している間に、「あのお店がおいしいから食べに行かない?」「いいねぇ、いこう!」って。それでも友達のような関係だからお互いに秘密もあって、その部分は話さずに弱みは見せなかったり(笑)。頼れる存在ではあるけど。
その分、次男のリッキーはすごく気を遣う子。「お母さん、寂しくない?再婚してもいいんだよ」「お母さん大丈夫?一緒に寝ようか?」と言って、いつも心配して気遣ってくれる。リッキーを抱きしめてオイオイと泣かせてくれる。いるだけで掬われる存在。
三男のだいずは、本当にやんちゃで、上の真似ばかりしていますけれど。おばあちゃんの怒りを買っても、感情をぶつけてくる子。自分が生まれる時にどんなことがあったのか、うっすらわかっているようですけれど、まだ理解するに至っていないです。私の母も強い人なので対等に接するので孫と祖母の関係でもめごとが……(笑)。

 
同じお腹から生まれてきても、皆それぞれキャラクターが違って本当にかわいいです。ついつい反抗的なうちの一人っ子と比べてしまうけど、晴美さんのうちの子は皆素直で、お母さんへの気遣いが溢れています。
 

私自身は一人っ子でした。でも結構ひとには「10人兄弟くらいで育っているのかと思った」なんて言われ。父が3歳の時に病死し、母一人子一人で育った。母はものすごく厳しい人。「父親がいない子はそれだけでハンディだから、学歴だけはつけておいて損はない」という考えをもっていて。とにかく母に逆らうと面倒くさいことになると子どもながらに感じていて、白旗をあげて付き合っていました(笑)。しょっちゅう、隣の家に貯金箱抱えて家出して。
私が中学受験したのは当時の担任の先生が素晴らしい指導者で、クラスもまとまっていて32年前の公立でクラスの3分の2は受験希望者。同じクラスから女子3人同じ学校を受けて合格し進学。今、長男も受験したいと言いだして通塾していますけれど、私立は無理なので公立の中高一貫校を目指しています。

 
長男・ぴんちゃんの通塾するまでの話と、それからの話を聞いて、本当に生活面でとっても自立しているなぁ〜と感動しました。ここでご紹介してもいいですか?
 

はい。実は塾へは小2くらいから「行きたい」と言われていたのですが、下にもチビがいたので「来年になったらね」とず〜っと先伸ばしにして。そもそも受験させようなんて思ってもいなかったけれど、6年生の6月になった頃「お母さん、もういい加減にして!僕は本当に塾で勉強して受験してみたい。ここの塾に行きたいから今日絶対にお母さんから電話をして」と強く言われて(笑)。や〜っと重い腰をあげて申し込みをしました。この夏からプリント学習中心の小さな塾へ通っています。通塾の途中でおいしいパン屋さんを見つけて、「みんなの明日の分も買っていこうか?」と、わざわざ電話を。結局、食いしん坊な自分が食べたいだけなんだけど……。

 
それって兄弟がいるからというのと、やっぱりお母さんのことすごく気遣っていると思う。うちの誰かさんなんて、何でもやってもらって当たり前みたいな顔しているから。同じ歳のぴんちゃんくんがすごく大人びて見えるはずです。
 

う〜ん、対等に付き合えるところもあるけれど、うちの中で一番やったらやりっ放しの人ですよ(笑)。例えば冷蔵庫からミネラルウォーター出して飲んでも、キャップ外してそのままにしたり。学校からもらったプリントも全然持って帰ってこなくて、紙袋2つ分に。着て行ったジャンパーも学校へ何枚も置いてきて。もう着るもの無くなっちゃうくらい。そんな抜けたところもありますよ。

 
うちはその話に3乗して日々溜息です(笑)。私が小6の時と全然違うキャラ。でも、子どもってやはり親のDNAを何かしら受け継いでいますよね。
 

そうですね。夫は、いつかイタリアに駐在したいという夢があって、NYにいながらイタリア語を勉強している人でした。大学卒業後に銀行へ赴任して都内2カ所支店勤務を経て、イタリアへ留学。イタリア支店で働くつもりでしたが、ミラノ支店の話が急になくなって、それでNYへ呼ばれて渡米しました。その後もチャンスをねらって、いろいろなテストもあったし、社会人になってからも常に勉強していた。
私には仕事の話は一切しない人でしたけれど、後からNY支店に呼んでくださった上司の方から「こんなことになってしまって責任を感じている」とお話しいただいて。夫の死後、彼が勤めていた銀行のイタリア支店が再びできることになったらしく、「ああ、杉山が生きていればまっさきに指名されたのに……」と悔やむ声があがったとか。夫の死は社内の誰かのせいだなんて、そんなことは全然ないんです。結局、運命なんです。

 
巡り合わせというには、むご過ぎる話でしたけれど。2001年9月11日に話を遡りますが、当時三男のだいずくんを懐妊中で。日本にいらしたお母様も心配されましたよね。
 

母は9.11の後、すぐ飛んできてくれた一度目と、出産時に来てくれた二度目とで、年齢的にも負担が大きくてヘトヘトになってしまいました。母も女手ひとつで私を育ててくれ、離れてはいるけれどようやく家庭をもって落ち着いた…と思っていた矢先にこの事件があった。「人生、死ぬまで何があるかわかんないわね!」と。今でも母から言われた忘れられない言葉です。私もこれから一山も二山も越えなくちゃならないんだと覚悟を決めました(笑)。
今やっと子ども三人とも学校へ通って、末っ子も少し手を離れたから、自分のことを振り返る時間ができた。やっと少しほっとできているのかも。それで余計、自分の粗も見え始め、また余計なことを考えて、なんだか私って小さいな〜と。もともと大層な人間じゃないけれど、ますます「をいをい、大丈夫かい?」って面が浮き彫りになって(笑)。

 
晴美さんに限らず、皆そうだと思う。仕事も家事もバッチリで、毎日のスケジュール管理もすべて効率的で完璧!みたいなスーパーウーマンって、半分マスコミが作り上げている像と思うけど、ごくごく一部。底辺でもがきあがいて生きている人のほうがよほど多い。上見て暮らすより、目の前のことを片付けていくことで精一杯。えらくなろうとか成功しようって欲ではなくって、頑張ってこうよ!と支え合えるつながりが大切ですよね。
 

何だか更年期なのかなぁ、ものすごく疲れちゃう。自分の体力も変化してきているのを感じますね。とはいえ今年は急にPTA役員を引き受けて。一見仕切り役に見られがちですが全然そういうタイプではない。誰かについていきたいほう。ふられた仕事をコツコツこなすタイプなんです。

 
姉御肌に見えますけれど。亡くなった旦那さんとのご結婚は早かったですよね。
 

彼が大学卒業したての24歳、私が先に勤めて3年目の26歳の時に結婚しました。とりあえず一緒に住もうと生活が始まって、まったくお互いの生活を確立しながら7年くらい二人でした。長男が間もなく12歳ですから、もし24歳で結婚するなんてことになったらあっという間。彼は結構大人でしたね。仕事も始めたばかりで、どうなるかわからなかったけれど、仕事面で彼に不安を感じることがまったくなくて「これからどうするの?どうなるの?」なんて質問はしたことがなかった。夫は自分が求めることに答えてくれさえすれば、あとは私が何をやっても全然何も言わない人でした。

 
その勤勉さは長男ぴんちゃんがそっくりで。ところでマザールの美女ブログからリンクしている「ハムミのダンゴ3兄弟」も昨年末で更新が途切れています。これについては?私も一般公開のBlogは更新が停滞気味ですけど。
 

本を書いた時は、もうあふれ出んばかりの感情があって一気に書けた。その経験があるせいか、適当に書くことはできるけれど、何か言葉を並べているだけのような気がして。だからBlogに書くことが何となくできなくなって。正直過ぎるのかもしれませんけれど。
書いたことを読み直してみて、「本当にそうかな?」と。だから、今は書く時ではないのかなと。書きたいことを書こうとすると後ろ向きなことも発してしまう。Blogでそういうことを書いたりして愚痴りたくないのね。伝えたいことや感じていることを話したほうが発散できる人もいるけれど、私の場合は誰かに愚痴ることで自分の気持ちが落ちて行ってしまう。9.11の後はすごくポジティブなことを考えていたけれど、今は少し引いた感覚がある。書くことへ、ためらいがあるんです。

 
晴美さんの場合は、9.11の後で本も書かれて、ドラマにもなって、いろんなマスコミから取材も受けて存在を知られました。だから、その後どうなった?と気になっている方もたくさんいらっしゃると思う。
 

いやぁ、大したことはしていないですよ。飲んだくれて記憶がなくなっちゃったり(笑)。この間も家にお客様にもてなしながら飲んでしまって・・・・・・。夫の遺品で大切にしているグローブはめて、子どもらと部屋の中なのに硬球でキャッチボールしていたらしくて。おまけに球が鼻にあたって鼻血を出したらしいんだけど全然記憶がない。「お母さん、大丈夫?」「何も覚えてないの?」と子どもたちも酔っ払いぶりを怖がっていたり。

 
私も晴美さんのお宅へお邪魔するとかなり酔ってしまうので…(笑)。では、この8年の間の報道を見てどう感じていますか。
 

よくなったことが一つもないじゃないですか。アフガンでもイラクでも相変わらず闘いが続いている。アメリカもオバマ政権になって変わってくれるといいなと思いますが、今アメリカ経済がガタガタでそれどころではない感じですし。アメリカのよさみたいなものも、今なくなりつつある。NYって雑多な民族が入り混じって支え合って開放的に暮らしていたのに、今は閉鎖的になって何でも調査。ちょとずつ扉を閉ざしてしまって。絶対必要なことでしょうけれど、よく変わったことが一つもない。

 
子どもたちも8年経ってどうでしょう。
 

改まって話すことはないんですが、友人から先日「ぴんちゃん、テロを憎んでいるんだね」と言われて、ああやっぱりそう考えているんだなと。リッキーはもともと正義感が強いけれど、まだ深く理解できないことが多い。精神的に寄りかかれる存在ではあるんですけれど。だいずは自分が生まれる前に何があったかは言葉で聞いて知っていますが、まだまだ理解していません。
もちろん足りないところもそれぞれあるんですが、それを兄弟同士補い合って、助け合って生きていってほしい。子どもって足りないところは成長していくなかで自然と補えるものですから。

 

晴美さん宅では毎年命日のあたりに、学生時代のサークル仲間が集まる飲み会が開かれます。ふとしたきっかけでうちの親子も参加させていただき、息子のスギオが毎年そこに集まるオジサンたちに悪さをし、超ヒンシュクを買いながらも本人心底楽しんでます。皆さん、いつもごめんなさい!この場を借りてお詫び申し上げます(泣)。生きていると笑ったり泣いたり、失敗したり立ち直ったり…の繰り返し。杉山一家には、そんな普通の幸せを感謝する心に、いっつも気づかせてもらいます。まだまだ続く子育ての日々。次の酒盛りも楽しみにしています。

 

「天に昇った命、
  地に舞い降りた命」
著:杉山晴美
発行:マガジンハウス
\1,300

9.11を体験された方も、そうでない方も、同じように子育てをしている方には特にぜひ読んでいただきたいと思います。あの日から8年経ちますが、小さな子どもたちにも伝えていきたい一冊です。
杉山家にて。左端が三男だいず。右端後ろが長男ぴんちゃん、前が次男リッキー。おそろいのTシャツがダンゴたちらしくてかわいい。真ん中の赤いのがスギオ。右隣は、お友達のRくん。
スギオ(小6)を真ん中にゲーム談義。リッキー(小4)とだいず(小2)に囲まれても違和感なく溶け込んでいます。
長男ぴんちゃん(小6)。おいしいものが大好き。お料理上手な晴美さんの影響で、簡単な料理も作れるのだとか。歴史とか政治など興味のあるテーマを勉強することがとっても好き!ふとした表情が、大人びています。
次男リッキー(小4)は、野球大好き少年。言葉は舌足らずかもしれませんが、お母さんを人一倍思いやる心をもっています。いろんなことに注意を払って、気遣いしてくれる。心優しい男子!
三男だいず。たわわなホッペと大きな瞳は赤ちゃん時代から変わらず。アイドルみたいな容姿にもかかわらず、食いしん坊で激しい一面も。リッキーと同じ野球チームに所属。
三人三様なキャラがとってもおもしろい。兄弟喧嘩はあんまりしない。末っ子のだいずがワガママを言っても、アニキ二人がちゃんと注意し重しとなっています。なんだか古きよき昭和時代の兄弟みたいじゃありませんか。
晴美さん宅でご馳走になったサラダ。異様においしいものばかり! 思わずお持ち帰りもさせていただきました。
酒の肴が天下一品!どこかで覚えた料理というよりも、杉山晴美流のオリジナルっぷりが本当にすごい。本人曰く「超適当なんで〜」。晴美さんが小料理屋をやってくれたら、通いつめたい。
 
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